2016年9月30日金曜日

11.プレゼン資料作るぜぃ!

 会社に戻ると1時前になっていた。
 よーし、やるか、とパソコンのロックを暗証番号で解除した途端に思い出す。ハモりの練習するんだった・・・。まずい、これはホントにまずい。マスターせずにカラオケに行った時の由香の反応はほとんどハズレなく予測できる。
「博志はやるって約束したでしょ!何で練習してこなかったの?私は約束破る人が一番嫌いなの知ってるでしょ!もう別れる!絶交!着信拒否!」
おー、おぞましい。今までも何度か小さなことでもめて復旧にものすごい労力を費やしたことを思い出す。ブルッと震えが起き、思わず両手で身体を抱きしめるポーズになる。
「小西さん、寒いんですか?風邪ですか?風邪引いたまま死ぬってどうですかね」容赦のない絵里子の突っ込み。
「だいじょぶだいじょぶ。仕事仕事」
僕は意識をパソコンに集中する。これを片付けない限り由香に会うこともできない。ともかくスピード優先。

パワーポイントにグラフィックやコピーを取り込んでレイアウトしていく。マーケットの現状やお客様の声など訴求ポイントにタイトル付けして並べ、ストーリー化する。いつもやっている仕事なので手は勝手に動いて作業が進行していく。分量があるので後は時間との戦い。項目毎に印刷をかけ絵里子がチェック。これもいつもの連携プレーだ。ちょっとした誤字脱字などを絵里子が赤ペンで修正し、同時並行で直していく。
「小西さん、ちょっと荒くないですか。悪くはないですけど緻密さに欠けるような」厳しい絵里子の指摘。
「だいじょぶだって。課長だって明日のプレゼンがないのはわかってるんだからそんな細かいこと言わないよ。それよりスピード優先。ほら、どんどん印刷するからチェックよろしく!」

だんだん調子に乗って来た僕はトップスピードでプレゼン資料を仕上げて行く。頭が考えなくても言葉が湧き出て勝手に手が動く。マラソンのランナーズハイみたいな神がかり的興奮状態。エンドルフィンが頭に充満してる感じだ。それでも分量が多く3時を過ぎてもまだ8割の達成度。よーし最後の追い込み。5時には絶対上げるぞ~!僕の勢いに押され絵里子も必死の形相でプリントされたプレゼン資料をチェックしていく。物も言わずひたすら作業を続ける僕と絵里子。そして4時50分、遂に完成した。

「よーしできた!小杉さん人数分コピーお願い。みなさーん、5時からミーティングしま~す。B会議室にお願いしま~す」
チームメンバーに声をかける。桑田課長の前につかつかと進み、
「課長も最終チェックお願いします。摸擬プレゼンやりますんで」
と言うと、課長はパソコンから顔を上げ、ん、と頷き立ち上がった。
5時からプレゼン30分やって6時までには会社を出て、ドトールでYouTubeを開き、笹部みはるのJOYを探してハモり練習。7時に八重洲のコーラスに余裕で登場、と、これからのスケジュールが頭の中で明確に描ける。よっしゃ!できた!パソコンを持って意気揚々とB会議室に向かう。プロジェクターにつないで準備完了。
「小杉さん資料配って」絵里子がてきぱきと8人のメンバーに資料を配布。
「じゃぁPC操作をお願い」セットしたPCの前に絵里子を座らせ、僕は会議室前方のプレゼン位置に立つ。白い壁面にプロジェクターからタイトルが投影される。
「山田技研様新商品キャンペーンに関するご提案」
 僕は大きく息を吸い込んだ。これは最後のプレゼンだ。創業58年。小さいながらも業界での地位を築き、マーケットで大手と凌ぎを削ってきた日本橋広告社の最終最後のプレゼンは、今僕がその役割を担うんだ。使命感が溢れ気合が入る。
「それでは、不肖小西博志が模擬プレゼンを行います」
 声高らかに宣言しいよいよ開始。由香、待っててくれよ。ビシっとやっつけてハモり練習もバシっとやって本番完璧にキメてやるからさ!


2016年9月29日木曜日

10.最後のランチ2

今年に入って世界は混沌として来ていた。
東欧で起きた領土問題をきっかけに、ロシアが軍事介入の機会を狙い、米欧は阻止に動いて激しい舌戦や挑発が繰り返されていた。中東の問題に出口が見えない中、核兵器が北朝鮮からテロリストに流失したという情報がハッカー集団から流れ世界を震撼させた。北朝鮮は肯定も否定もせず、狂ったようにミサイル発射実験と核実験を繰り返しており、緊張感がかつてないほど高まっていた。
1962年のキューバ危機以来の核戦争の可能性も叫ばれていたが、日本は相変わらず平和であり、また人間はそれほどまでにバカではないだろう、という楽観論が主流だった。
 そのような状況だっただけに今回の唐突な世界の終りの発表には違和感もあった。何故1年も前からわかっていたのに、米露はこんなにいがみあっていたのか・・・。

お店のお母さんが食事を運んで来たので話は一時中断。そう言えば朝からバタバタしてて何にも食べてなかったんだった。口にするときつねそばの鰹だしが染み渡る。美味い・・・。ミニ天丼もご飯の粒が立っていてサクサクの天ぷらとのコンビネーションが素晴らしい。
この店っていつもこんなに美味かったかしらね。最後のランチだからかな。ふと感傷的になる。外出が無い日はここ数年毎日このメンバーで昼飯を食べていた。

沈着冷静で黒ぶち眼鏡が理知的な村上と、身体ががっちりしてガッツのある体育会系の黒田、そして真面目で一生懸命だが時としてとんでもないことを仕出かす僕の三人は、同期で尚且つ同じ営業職ということもあり会社では仲が良いので有名だった。陰では三バカトリオなどと呼ばれてはいたが、全員成績を挙げており一目置かれる存在だった。
でもさぁ、苦しい時にも村上と黒田とのこのランチが息抜きになって、何とか気持ちを立て直したことも随分あったよなぁ。思い出していたら鼻の中がツンとしてきて、視界が歪んだ。
「何だ小西、泣いてんのか?」村上がひやかす。
「ばかやろう、泣くわけないだろ!わさびが沁みただけだ」
 ギャグで返したつもりが、涙がぽろっとこぼれてしまった。
「ばーか、どこにわさびが入ってんだよ」
黒田がからかうが、どこかしんみりしている。
それから僕たちは黙ってそれぞれの最期のランチを食べ、お茶を飲み、会計をしてのれんをくぐった。
「毎度ありがとうございました。またお願いします」
いつもと変わらぬお母さんの声に、また目頭を熱くする。またお願いします、か・・・。

2016年9月28日水曜日

9.最後のランチ1

 会社のある日本橋室町はランチの宝庫だ。老舗からチェーン店まで何でもござれ。しかし混んでいるのが難点。比較的空いている蕎麦屋に入った。村上はかつ丼そばセット、黒田は冷やしたぬきそば大盛り、僕はきつねそばとミニ天丼のセットを注文。おしぼりで顔を拭く。
「しかしホントに今日で終わりかね」と言うと、村上が諦め顔で
「ホントらしいねぇ」と言う。
「しかしホントにこの時が来るとすることないもんだね」黒田が渋い顔で言った。
「そうなんだよ。自分だけが死ぬんだったらさ、いろんな人に挨拶したり言い残したり、親兄弟とか彼女とかに会って涙ながらに話すんだろうけどさ。全員いっぺんにだからな。不思議なもんでみんなそんな風に思うんだろうな。世界は全然普通にいつもと同じに動いてる感じだよな」
村上も冷静に言う。
なるほどなぁと思う。自分だけが死ぬわけじゃなく、世界が全部同時に終わってしまうなら、最後に何をするってこともないのかもな。
「でも若干タイムラグがあってさ」村上が言う。
「どういうことだよ」と訊いてみると、
「俺さ、午前中時間があったから詳しくネットで調べてみたんだよ。そしたら小惑星が向かってるのは太平洋沖の日本近海らしいんだ。直径370kmの惑星が時速3万kmで突っ込んで来る。これが落ちると日本は一瞬で焼き尽くされるらしい。惑星が融解してマグマ状になって地球に衝突すると地殻がめくれ上がって円形に広がって巨大なクレーターみたいになる。そしてこのクレーターみたいなとこから惑星がどろどろに溶けて流れ出して地球上に広がる。丸一日で地球は滅亡ってわけだ」
丸一日で世界のすべてが焼き尽くされるのか・・・。
「地下はどうだ。シェルターとか」村上に訊いてみる。
「流れ出すマグマは1500度から5000度の高熱と言われていて、すべてが焼き尽くされる。地下のシェルターだって人間が生きれるような温度じゃないって。海も同じだ。海水もすべて蒸発するらしい」
「それは公式な発表なのか?」黒田の問いに村上は頷く。
「アメリカ大統領が午前中に演説をぶっている。静かに時を過ごそうって」
「しかしさ、何で今頃発表するのかね。もっと早くわかってたんだろ?」
僕が訊くと、村上はアメリカ人みたいなOh!No的な仕草で、
「勿論わかっていたさ。NASAでは1年前くらいに掴んでいたらしい。でも、手立てがなかったんだ。1年後に地球が終わります、ってアナウンスしたら何が起きる?ただの混乱だよな。時間がありすぎるのは混乱しか生み出さないだろ。だから徹底的に隠したんだろうな」と言って微笑んだ。
「賢明な選択ってやつだ」
賢明な選択か。なるほどね。
もし、何か逃げ延びる方法があるのなら世界は大混乱となるだろう。金持ちや権力者が我先にと逃げ出し、暴動や殺し合いが頻発してもおかしくない。しかしまったく誰一人逃げることが不可能なら確かに心静かに過ごすしかないのかもしれない。


2016年9月27日火曜日

8.何とかしなくちゃ

しかし成り行きとは言えこんなに普通にしていていいのか、と釈然としない思いに駆られる。僕は今夜9時に死ぬことになってる。他にすることはないんだろうか。田舎に帰って一目母に会おうか。しかし会ったところで母も同時に死ぬことになる。死ぬというか、世界が全部無くなるわけだから、普通に死ぬ時みたいにやり残すことや言い残すことなどの未練は基本的には存在しないのだろう。

最後の晩餐はどうだ。一番好きなものを最後に食べるってのは。僕が一番好きな食いものはなんだ。そりゃつけ麺だな。昇龍軒の魚介濃厚つけ麺。つけ汁が太麺に絡んで最高に美味いんだよな。ぶっといシナチクや厚めのチャーシューも絶品。
由香と行くか。いや、由香はイタリアンが好きだ。アルイタリアンテのディナーコースが良いって言うんじゃないかな。しかし、しかしだ。食べた後すぐに死ぬってどうだ。食べてすぐ寝ると牛になるって言うけど、食べてすぐ死ぬとどうなるんだ。しかも普通に死ぬんじゃなくて惑星の衝突で死ぬんだから、一瞬で焼き尽くされる感じか。んー、何だか食欲なくなってきたな。焼かれる直前に食べるのもな・・・。

プレゼン資料にハモりの練習、最後の晩餐などなど、考えれば考えるほど混乱してくる。何だかとても追い詰められた気持ちだ。でも由香と約束した以上ともかく7時には八重洲のコーラスに行かなくてはならない。となれば、ギリギリダッシュで6時50分には会社を出なくちゃ。おー、これはただごとではないぞ。僕は慌てて席に舞い戻り資料のダウンロードの続きを再開した。

僕と絵里子以外の6人は自分の仕事を終えており、割とのんびりムード。デザイナーの原田はコーヒーとかを飲みながら雑談している。
「今日は早めに失礼して家でゆっくりその時を迎えようかな。息子もまだ3歳だからパパ、パパってまとわりついてくる年頃だしね」
原田は2こ先輩だが、4年前に結婚して男の子がいた。
「そうよね。昨日は夜中まで頑張ったんだから後は小西くんと絵里ちゃんに任せて私たちは早めに上がらせてもらおうかな」
コピーライターのさつきさんも余裕の表情。益々焦る僕。確かに分業態勢なので他のメンバーにできることはない。全体をまとめて資料を完成させるのは僕と絵里子の仕事だ。でも何だか釈然としない。こんな大事な時に何で僕だけこんなにテンパっているのか。
「ねぇ、小西さん、お願いしますよ。私だって今日は早めに上がりたいんです。彼氏からメール来てるし」
絵里子が縋るような目で僕を見る。絵里子も今日は化粧ばっちりで勝負服的なワンピースを着ていた。最後に彼氏に会いたい気持ちは痛いほどよくわかる。何とかせねば、と強く思う。
「わかった、わかりました。何とかするからさ。共有ドライブのデータ今落としてるから。あとレイアウトしてスクリプト作ればいいんで、夕方までには何とか終わらせるよ。ラフのレイアウト作っておいてもらいたいんだけど」
「わかりました。小西さんはスクリプトに集中してください」
気合いのこもった目で僕をまっすぐに見つめる絵里子。僕にも自然に気合いが入る。絵里子と話したら何だか出来そうな気になって来た。グラフィックもコピーも完成度に問題はない。問題は課長のちゃぶ台返しだな。熱血桑田課長はたまに全部やり直し!的なちゃぶ台返しをかますことがある。しかしまさか今日はそんなことはしないだろう。どうせ通るはずのないプレゼンの資料なんだから、完璧を求めるということもないはずだ。基礎資料を整理しているうちにあっという間に昼になった。
村上が寄って来て、
「昼行くぞ」と言った。後ろに黒田もいる。いつもの同期三人組。昼休み潰して作業した方がいいかな、と一瞬思う。でも何とか大丈夫そうだな。まいっか、と絵里子に、昼行って来る、と声をかけて立ち上がった。
「大丈夫ですか?そんなのんびりしてて」
不安そうな棘のある声で絵里子が言う。
「大丈夫だよ。任せといて」
小声で言ってドアに向かった。



2016年9月26日月曜日

7.カラオケ行かなくちゃ!

 広告代理店の仕事はいつも締切りに追われている。明日のプレゼンは先週急に入って来たデカイ案件で、うちの課の8人が役割分担してそれぞれ作業を進めていた。グラフィックやコピーの担当からデータが昨夜遅くにパソコンの共有ドライブに集まっており、僕と絵里子がそれらをまとめて今日企画書として完成させる手はずになっていた。

よーし!と気合いを入れて共有ドライブを開けデータの取り込みを始めたところで、机に置いてあったスマホがブルブルと振動を始める。手に取ると由香の表示。おっとこれは大変。スマホを持って立ち上がりまた廊下へダッシュ。慌ててタッチすると、
「あ、博志?だめでしょ、勤務時間中に電話しないでって言ってるでしょ!」
  いきなり責められテンションが下がる。
「そりゃそうだけどさぁ・・・緊急事態だから・・・」
「でも、仕事中にかけられても困るのよ。周りも見てるでしょ。博志の気持は勿論わかってるよ。私だってどうしたらいいかわからないのよ。博志と同じ気持なの。でも今日の夜は大丈夫なんでしょ。私カラオケ行きたいんだよね。最近歌ってないし。笹部みはるの『JOY』練習したんだ。YouTubeで1時間も。もう完璧なんだから。せっかく練習したのに歌わないで死ぬなんて絶対イヤなの。ねぇ、サビのハモリんとこ博志も練習しといてよ。あそこが一番カッコイイから。じゃぁお願いね。7時に八重洲の『コーラス』予約しとくからね」
ガチャ、プープープー・・・。小さい嵐のような由香の電話。自分の言いたいことだけ言ってふいに切れた。
はぁぁぁぁぁーと大きなため息が出る。カラオケねぇ・・・。地球最期の日にカラオケかぁ。何故こんな日に由香とカラオケでデュエット?まぁいいけど。
しかし、待てよ。笹部みはるのJOY全然知らねぇし。笹部みはるは知っててもJOYねぇ、そんな曲あったかな・・・。
 由香は優しくて良い子なんだけど、頼んだことを僕がすっぽかすと異常なテンションで怒るのだった。昼休みにYouTubeで覚えとかないと大変なことになるな・・・。


2016年9月23日金曜日

6.ホントにプレゼンやるの?!

 席に戻ると隣の席に座っているペアの小杉絵里子が声をかけてきた。二つ後輩の絵里子とはもう2年もコンビを組んでおり気心が知れている。
「小西さん、明日のプレゼン資料まだ出来てないですよね。課長がさっきどうなったって訊いて来たんですけど」
おー、そうだった。昨日木下たちと飲みに行ってしまうことにしたので、今日は早朝出勤でとっかかろうと思ってたんだっけ。すっかり忘れて目覚ましも普通にかけてしまってた。いかんいかん・・・。
しかし、と思い直す。明日のプレゼン?!
「明日って、プレゼンはないよね」
絵里子は平気な顔で、
「そりゃそうですよ。今日で地球は終わりなんだから。でも課長は仕事はそういうもんじゃないって。いくら言っても無駄だと思いますよ」
と言ってニコッと笑った。
そういうもんじゃなければ一体どういうものか。ありもしないプレゼンの為に今日一日はっちゃきになって資料を作るのはどうなんだろう。って言うか無駄だよね。だんだん腹が立ってくる。一体みんなどうなってるんだ。
僕はすっくと立ち上がり、大股で課長の席に向かった。怒りが普段では考えられない強気な行動に僕を駆り立てていた。桑田課長の前で仁王立ちになった僕は、パソコンで作業をしている課長を睨みつけてこう言った。
「課長!ありもしないプレゼンの為に大切な一日を無駄にするのはおかしいと思います!」
桑田課長は驚く様子もなくパソコンから顔を上げ老眼鏡を外し、座ったまま僕を見上げた。そして目を細め僕の顔を見た。鋭い眼光に射すくめられドキッとする。この目をした時はカミナリが落ちるんだった。経験則が瞬間的に僕の首を縮めさせる。
「ばっかやろぉぉぉぉぉ!」
50人くらいのフロアに響き渡る桑田課長の怒号。全員がぐわっとこっちを見る気配が空気を震わせる。
「小西ぃ!お前はまだわからんのかぁ!」
思わず一歩後ずさりする気弱な僕の足。
「仕事の基本はな、お客様の為に努力することだ。最大限に努力できるかどうかだけが我々が意識する唯一のことだ。後は関係ない。仕事が取れるかどうかは結果だ。自分目線で結果だけを考えてるからそういうことを言い出すんだ。まだわからんのか、お前は!プレゼンがあるかないかは関係ない。今日中に資料を作成するのはお客様との約束を守るための最低限のスケジュールだ。お客様との約束は絶対だ。地球の終わりぃ?それがどうした。四の五の言ってる暇があったらすぐとりかかれ!」
火を噴く勢いの桑田課長。怒鳴られると何だか課長の言っていることが正しいような気がしてくる。
「は、はい・・・。申し訳ありませんでした。以後気をつけます」
あー、また言ってしまった・・・。条件反射とは恐ろしい。ベルが鳴るとよだれを垂らすパブロフの犬。桑田課長に怒鳴られると思わず謝る小西博志。これじゃパブロフ小西だよな。すごすごと席に戻ると絵里子が小声で、
「ほーらね、いくら言ってもダメだって」
と言った。仕方ない。やるしかないか・・・。

2016年9月21日水曜日

5.由香

僕はそっと席を立つと廊下に出た。スマホを取り出して着信履歴から由香をタッチする。早く声が聴きたい。ワンコールで由香が出た。
「桜井です」快活な声。
「大変なことになったね。今大丈夫?」
「いつも有り難うございます。ただいまちょっと取り込んでおりますので、後ほど当方からお掛け直しいたしますがよろしいでしょうか?」
打ち合わせ中かな。由香は営業をやってるから、打ち合わせが多いっていつもこぼしてたっけ。でもこんな時になぁ・・・。
「わかった。じゃあ待ってるね」
「有り難うございます。それではよろしくお願いします」
由香は最後まで営業スマイル的なトーンで電話を切った。ふぅー、とため息が出る。真面目でしっかり者の由香。仕事は常に全力投球。会社でも笑顔で頑張ってるんだろうな。

由香とは3年前に村上がきっかけで知り合った。村上が由香の勤めている商社を担当してて、合同で飲み会をする企画が持ち上がり僕と黒田にも声がかかったのだ。その10人ほどの飲み会で僕たちは知り合いメルアドを交換した。
僕は福島の出身で大学から東京に出て来ていたが、由香も仙台の出身で同じ東北の生まれということもありすぐに打ち解けた。しばらくメールのやりとりをするうちに二人だけで会うようになり、由香の人柄に魅かれ付き合うようになった。小柄で可愛いのは僕のタイプだが、ブランド志向ではなく自分のセンスをしっかり持っている由香の価値感が僕の感性にぴったりだったのが決め手だった。
あれから3年、真面目だが怒り出すと止まらない由香の性格でピンチもあったが、去年の秋に福島に一緒に帰り、実家の母にも紹介し結婚に賛同してもらっていた。由香の両親にもこの正月に挨拶に行った。二人ともとても優しい人で歓迎してもらい、また弟さんと妹さんともお話しすることができて嬉しかった。僕は一人っ子だし、父が5年前に亡くなっていたから親族が増えることはとても心強いことだった。長男、長女の結婚でハードルもあるのかな、と心配したが、みんなに温かく迎えていただき心から感激した。だからホントにもうすぐだったのだ。はっきりとは決めてはいなかったけど、来春くらいに式を挙げることになるのかな、と二人とも思っていたのだ。まさかこんなことになるなんて・・・。

気がつくと僕はスマホをぎゅーっと握り締めていた。由香のことを思うと胸が締め付けられる。由香は今日も会社に普通に行って忙しく仕事してるみたいだ。みんなそうなのかな。母も課長も由香もみんなほとんど普通で、いつもと変わらない一日を過ごそうとしている。泣きわめいたり、取り乱したりせずに、ただ淡々と普通の一日を始めている。そういうもんなのかな。考えたこともないからわからない。しかし、僕はどうすればいいのか。最後の一日はあと11時間半・・・。





2016年9月20日火曜日

4.遅刻

 イライラしながらエレベーターを待って、11階のフロアに着くなりドアに飛びつきガバっと開けるとフロアに入った。
「すんません!遅くなりました!」
課長の席へ向かいながら叫ぶ。桑田課長は遅刻が何より嫌いだから、こういう時こそ元気よくやらなくてはいけない。今まで散々痛い目に遭ってきた経験が生きる局面だ。
「何やってんだ、小西ぃ!7分も遅刻しやがって!」
イメージ通りの桑田課長の怒鳴り声。
「いや、ちょっと、今日で地球が終わるらしくて・・・」
「それがどうしたんだ!」
輪をかけて怒鳴りつけられた。それがどうしたって言われてもなぁ、と思ったが口答えすると余計ややこしくなるので我慢した。
「申し訳ありませんでした。以後決してこのようなことは」
勿論以後はないのだが、慣用句である。
「よしわかった。気をつけろよ」
いつもよりあっさり許す桑田課長。やっぱり地球の終わりだからか、と納得すると同時に、今までで一番の現実感が込み上げて来た。課長がこの程度で許すのはやっぱ異常だよな。ホントに地球は終わりなんだな、と。
課長に一礼して席を離れ、ドアに近い自分の席に腰を下ろすと、後ろからポンっと肩を叩かれた。
「また、やられたな」
振り向くと隣の課の村上だった。いたずらっぽい笑いを浮かべている。
「まったくさぁ・・・。朝テレビを付けたら地球が終わるって言うから田舎の母に電話してるうちに遅くなっちゃってさ」
「そうか、そうだよな。俺もさっき来たばかり。みんないつもより遅かったみたいよ。急にあんなこと言われちゃさ、気持ちの整理がつかないよな」
みんなそうだったんだとちょっと安心する。
「でもさ、何で急にこんなこと発表してるわけ?もっと早く分かってたんだろ」と訊いてみると、
「勿論分かってて、アメリカが中心で対策を講じてたらしいんだけど、結局どうしようもなかったらしい。アルマゲドンみたいなわけには行かなかったってことだな」
村上は淡々と答えた。
そう言えばアルマゲドンでは小惑星の地中深く核爆弾を仕掛けて爆破してたもんな。あれはやっぱり映画の中の話ってわけか。
「そうか。ホントに終わりなんだな・・・」
更に現実感が強くなり、急に胸が締め付けられて来た。そうだ由香だ、由香に電話しなくちゃ。
「じゃあまた後で。昼一緒に行こうな」
村上の言葉に右手を上げて応えながら思い出す。そうだ由香に電話しなくちゃ!



2016年9月16日金曜日

3.最後の出勤

 駅に着くとそこにはいつもと同じ光景が待っていた。人の溢れかえる京急平和島駅の改札口。僕は人の間を縫って猛然と突っ込んだ。階段を2段飛ばしでホームに駆け上がると、丁度電車が滑り込んで来た。特急高砂行き。いつもと同じ超満員だった。変だよね、何でみんな普通に会社に行くんだろう、と思いながら、自分も無理矢理身体をねじ込みドアに張り付くようにしてようやく乗り込む。
「いてぇな!こらぁ!」
誰かが足を踏んだらしい。こんな風景も今日で見治めか。東京の異常と言えるこんな日常も、今日で終わりとなると何だか愛おしくも思えて来る。電車に揺られ押したり押されたりしながら考える。この人たちはみんな知っているんだろうか。テレビを見ないで家を出て来た人が大半なんじゃなかろうか。そうじゃなければこんなに落ち着いてられるはずがないよな。
その時運転士の車内放送が響き渡った。
「本日はぁご乗車いただきぃ誠にありがとうぉございます。本日のご出勤がぁ皆様最後のぉご出勤でございます。どうか最後のご退勤もぉ、京浜急行をご利用くださいませ~。最後のぉ瞬間はぁ是非ぃご自宅でぇごゆっくりぃお過ごしぃくださいぃ~」
驚きの声はどこからも上がらない。それどころか、くすっと笑い声が聞こえ、なるほどうまいこと言うな、などという独白も聞こえて来た。車内に和んだ感が充満する。和んでる場合じゃないよな、と思いながら、自分でも何となく口元がほころんでしまう。


最期の瞬間は夜9時か。8時頃の電車に乗らなくちゃな、と思ってみるものの、誰もいない一人暮らしのマンションに帰っても仕方ないと思い直す。僕は今日は誰と何をして過ごすんだろう、と不安になる。普通であれば会社にいる時間だ。
最近は新しいプロジェクト案件の見積もりやミーティングで会社を出るのはだいたい9時過ぎだから、今日も普通に行けばそんな感じだろう。しかしまさかね。会社で死ぬなんて絶対イヤだ。
今日は火曜日か・・・。そうだ!由香と会う約束してたんだった!由香に会って一緒に死ぬならまだいいな。良くはないけど仕方ないもんな、と考えたら少しましな気分になった。


由香とは付き合ってもう3年。結婚の約束をしている。由香が今28だから、来年には籍を入れたいって言われている。やっぱり30前にはね、と由香は笑っていた。その笑顔を思い出し切なくなる。小柄でキュートな笑顔の由香。商社の総合職として頑張って働いてるけど、僕には時々愚痴を言ったり涙ぐんだり、結構苦労してるみたいだ。あー、結婚できなかったな。守ってやれなかったな。申し訳ない。いや、僕のせいって訳じゃないけどさ・・・。


そんなことを考えているうちに日本橋に到着。時計を見ると、ありゃ!9時5分前!僕は慌てふためいて地下通路を全力で走った。

2016年9月15日木曜日

2.本日地球最終日?!

見慣れたいつものアナウンサーはいつもと表情を変えることなく淡々とマイクに向かっていた。
「先ほどもお伝えしましたように、本日夜9時頃に地球は終わりとなる見通しとなりました。人類の最期を我々が看取ることとなった責任を噛みしめて、今日一日皆さんと一緒に元気に過ごしたいと思います。それでは今週のお天気です」
画面が各地の天気予報に切り替わる。全国ほとんど晴れマーク。
「それでは一週間のお天気です」
一週間って、今日で終わりなんじゃないの?未だ全然廻らない頭で思わず突っ込む。しかし、国営放送でこんな冗談言うのか?ハッと気づきチャンネルを4に切り替える。
「本日地球最終日」のタイトル。地球最終日だぁぁぁぁぁ?!そんな言葉聞いたことないし。聞いたことある方がおかしいが。
よく見る女性のアナウンサーがにこやかにコメントしていた。
「小惑星の衝突ということで、本日夜9時頃に地球滅亡と発表されたわけですが、山田さんどのようにお感じになりますか?」
「そうですねぇ、確かに状況を確認してみると間違いないようですね。まぁ仕方ない、ということになるんでしょうね」
新聞社の主筆とかいう50過ぎくらいのオヤジが、重々しい雰囲気で答える。
仕方ないったって・・・。


 どうやら小惑星が地球に衝突するらしい。しかし何で急にそんな話になるのか。テレビ局がつるんでドッキリでも仕掛けてるんじゃないのか。リモコンでチャンネルを次々替えてみるが、5も6も7も8もみんな同じだった。
地球最期の日。リアルに本当らしい・・・。

ハッとしてスマホを探す。ダイニングテーブルの上にあったので、慌ててアドレス帳から田舎の福島で一人暮らしをしてる母を呼び出しタッチする。トルルルルー、トルルルルー・・・。
「ハイハイ~小西ですけどぉ~」相変わらずのんびりした母の声に何となく安心する。
「あ、かあちゃん、俺、博志」
「あら、なんだべね、こんな朝っぱらから珍しい」
「珍しいも何も地球が終わるってテレビで言ってたけど知ってる?」
母は慌てる様子もなく、
「あー、そのことね。びっくりしたねぇ。でもよ、ま、みんな一遍にっつぅんだったらしょうがねぇべした。あんたやあたしだけっつぅんだったらいやだけどもね」と言う。
 まぁ、そう言われてみればそんな気もするが、今日でみんな死ぬっていうのにこんなに落ち着いていられるものか。それとも僕がおかしいのか。
「まぁ、そりゃそうだけどさ。でもホントにホントなのかね」
「朝からテレビでずーっと言ってっから、ホントなんだべね。まぁ、仕方ねぇべした。そろそろケンタの散歩いくからまたね」
ケンタは5歳の柴犬で、父が脳卒中で倒れ亡くなった直後に母が飼い始めたパートナーだ。母は父の生まれ変わりと公言して可愛がっている。
「わかったよ。じゃぁ切るよ。じゃ元気でね」
「はいはい~、博志もね」
電話を切って思う。口癖で出てしまったが元気でね、ってさ・・・。
 由香にも電話しなくちゃ!更に慌てて着信履歴からタッチ。
 トルルルルー、トルルルルー・・・。呼んでいるものの出ない。そのうち留守電に切り替わった。どうしたんだろう、と思っていたらメールが着信。
「おはよう。今電車だから出れません。博志も遅刻しないようにね」
遅刻?!どうやら由香は普通に出勤途上らしい。しかしこういう時は会社に普通に行くものなのか。経験がないから判断できない。時計を見ると8時を過ぎている。やばっ!
条件反射で身体が動く。Yシャツを着て1分で髭を剃り、顔を洗って歯を磨く。寝ぐせでクチャクチャの髪にハードムースを付けて何とか整える。その間たったの5分。ネクタイを締めて鞄を抱えて家を飛び出したのは8時20分過ぎだった。
このままじゃ遅刻だ。課長の怒鳴る顔が目に浮かぶ。課長の桑田のあだ名は瞬間湯沸かし器。小さなことですぐかっとなり、怒鳴り散らす。慣れてはいるがめんどくさい。僕は駅までの徒歩十五分の道を全力でダッシュした。何とか間に合ってくれ~、と心の中で叫びながら。

2016年9月14日水曜日

1.二日酔いの朝に~プロローグ~

 頭の中のずーっと遠くで何か音が鳴っている。
う~~~~~~。なんだぁぁぁぁぁ。うるせぇぞぉぉぉぉぉ。その音は徐々に輪郭をはっきりさせ、僕の頭から飛び出して外側から鳴り出す。
ジリリリリリン!ジリリリリン!
目覚ましかぁ。く、くそう、もう朝になっちまったのか・・・。眼を瞑ったまま手探りで布団から左手を伸ばし目覚ましを探す。あるはずの場所に目覚ましはなく、空しく虚空を彷徨う僕の左手。
ジリリリリリン!ジリリリリン!
わかった、わかったよ、起きればいいんだろ。のろのろと布団を剥ぎ、起き出す。目覚ましは、と見れば倒れてやがる。いつの間にか倒れて仰向けになった目覚ましを手に取り頭をペンっと叩く。ジリ・・・。もっと鳴っていたそうな風情の目覚ましを畳の上に正座させ、僕も布団に正座する。7時か・・・。5月の朝は特に眠いが二日酔いの日は尚更だ。

昨日の夜は会社の同期の村上たちと終電まで飲んで、よろけるように這うように何とか家にたどり着いたのが1時前。必死の思いで風呂に入ったものの、予想通り風呂の中で失神してしまい風呂から出たのは2時前になっていた。倒れこむように眠りに落ちて5時間か。でも結構寝たな、と少し安心する。しかし何で月曜日なのに終電まで飲むかな。もう30過ぎにもなる男たちのすることじゃないよな。村上はまだましだけど、黒田が悪いよな。酒癖悪いもんな。もう一軒、もう一軒と結局3軒。男ばっかで居酒屋をはしごするような馬鹿なマネはもう金輪際しないぞ。
フラフラと立ち上がりキッチンでやかんに水を入れて火にかける。マグカップにインスタントコーヒーをスプーン一杯と砂糖を少々入れて、あっと言う間に沸いたお湯を注いだ。
やっぱ朝は糖分が必要だよね。ブラックはダメだよね。低血糖症だと頭回んないもんね、などとぶつぶつ呟きながら、買い置きのドーナッツを咥えたまま左手にマグカップを持ってリビングのソファーに腰を下ろす。いつものようにリモコンでテレビのスイッチを入れた途端、画面の白抜きの文字に目を見開いた。
「本日地球最期の日」
な、何ぃぃぃぃぃ?!

主な登場人物
小西博志:主人公。広告代理店勤務のサラリーマン。
桜井由香:博志の彼女。商社勤務。
桑田課長:博志の上司。あだ名は瞬間湯沸かし器。
村上:博志の同僚。同期。
黒田:博志の同僚。同期。
小杉絵里子:博志の同僚。ペアを組んでいる。