2016年10月5日水曜日

14.由香からの電話

 壁の時計は7時になった。由香の顔が浮かぶが振り払ってパソコンを睨みキーを叩き続ける。
 ブブブブブッ。激しく振動する僕のマナーモードのスマホ。表示は当然由香。そっと課長の席に目を向けると、鬼の形相で僕を睨む。仕方無く着信を無視する。
ブブブブブッ、ブブブブブッ、ブブブブブッ。留守電になったらしく電話が切れる。ともかく今は集中しなくちゃ。
ブブブブブッ、ブブブブブッ、ブブブブブッ。しかし尚も激しく震え出すスマホ。由香が諦めるはずもないか。えーい!この際止む無し!スマホを引っ掴みドアへダッシュ。
スマホにタッチして左耳にあて「ごめん!まだ会社!」と叫ぶ。
「えぇぇぇぇぇ?!」信じられない、と思う由香の心が凝縮した悲痛な叫び声が耳を劈く。
「何言ってんの?私待ってるんだからね。会社って何?仕事してるの?バカじゃないの。何で残業してるの?もう終わりなんだよ。あと2時間もないんだよ。だいたいね、いくら頑張ったって残業料もらえないでしょ~~~!」
そうだ。その通りだ。僕が残業料もらうべき時にはこの世界は存在しない。でも、僕も残業料が欲しくて残ってるわけじゃない。
「由香、聞いてくれ。これは僕と桑田課長の男と男の戦いなんだ。命を賭けた最終決戦だ。だから待っててくれ。必ず行くから。必ず駆けつけるからぁ~!」
 僕の絶叫はスマホを通して電波になって由香の心に突き刺さった、はず・・・。黙り込む由香。わかってくれたのかな・・・。
 と、突然僕のスマホが内部から爆発した、と錯覚するほどの大音量が僕の耳に弾けた。
「ばかぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 思わず耳を離す。ガチャッ!プープープー・・・。
 由香が思いっきり叫んだ後に電話を叩き切ったらしい。がっくり項垂れてしまう僕。しかし怒るのも無理はない。最後の晩餐ならぬ最後のカラオケ。楽しみにしていた笹部みはるのJOYのデュエット。僕が練習できなかったからそもそもデュエットは無理だが・・・。

由香には理解できないと思う。何故こんな時に残業するのか。僕ですらわからないのだから彼女にわかるはずもない。最愛の人を待たせたままプレゼン資料を作らなくてはならないこの状況は、誰に説明してもわかってもらえないだろう。


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主な登場人物
小西博志:主人公。広告代理店勤務のサラリーマン。
桜井由香:博志の彼女。商社勤務。
桑田課長:博志の上司。あだ名は瞬間湯沸かし器。
村上:博志の同僚。同期。
黒田:博志の同僚。同期。
小杉絵里子:博志の同僚。ペアを組んでいる。